real local ライター・那須ミノルさん「ひととの関係性から仕事が生まれる」

山形でライター業をしている那須ミノルさん。これから就職をめざすひとへのアドバイスを語っていただきました。


じぶんがいま山形というローカルの地でライターとして働いていること。それはじぶん自身にとってすら、だいぶ予想外のことです。とてもありがたいこと、という気がします。ぼくの努力とか実力とかではなく、仕事をくれる人がいるからなんとか成り立っている…。こころから感謝したい方の顔がいくつも浮かんできます。

30歳で山形にUターンしたときには、それまで東京で背負ってきたライターの肩書きをもはや使うことはないだろう、と思っていました。ライターであることに疲れていましたし、ライターをやる自信もありませんでした。書く仕事などここにはないだろうと勝手に思い込んでもいました。ですからぼくは、山形に戻ってからは知人のつてを頼って地元の流通系の会社に就職し、営業や企画の仕事をやりました。転機が訪れたのは38歳のときです。会社を離れ、じぶんの仕事をじぶんでつくってみたい、と起業しました。しばらくはあまりうまくいきませんでした。でも、じぶんがゼロからリスタートできたこと自体はさっぱりとして気持ちいいものでしたし、お金を稼ぐのはあまり得意ではないとじぶん自身のことを改めて知ることもできました。うまくいくもいかぬも誰のせいでもなくじぶんのせい。その状況はぼくにとっては歓迎すべきもので、精神的にとてもラクになりました。

ゼロスタートのじぶんにできること。いろいろ模索しましたが、それは結果としてライティングでした。ある友人から依頼された冊子づくりに協力したらそのさきで新しい仕事が生まれたり、デザイナーである友人からの仕事が増えていったりと、自然と、徐々に、ふたたびライターになっていきました。東京での修行時代、たった400文字のテキストでさえ満足に書けずなんどもダメ出しされたり何日も徹夜したり説教されながら朝を迎えたりというズタボロの経験の日々は、それから10年後のぼくの仕事の基礎となってくれました。40歳ちかくにもなってからぼくはライターとして再起動し、以来、real local Yamagata というWebマガジンなどで取材活動しています。サラリーマンをやったことで流通というビジネスの商習慣や現場を知ることができましたし、起業をしたことで経営という目線を持つこともできました。そしてそれがまた取材や制作に生かされることも多いように感じています。無駄なことなどひとつもない、あるいは、無駄と思っていたことでも時間と共に意味が変わることがある、ということがいまならわかります。

「働く」ということについてぼくから若い人たちに伝えたいのは、しっかりと基礎を築く経験を積んでほしいということ。そして、誰かの役に立つようなじぶんをつくっていってほしいということです。仕事というのは、誰かの役に立つこと。そのためにはスキルが要ります。いいスキルを会得するには、学習の時間がどうしても必要です。師匠のような人のもとで修行したり、厳しい環境の中で必死に学んだり、という機会は避けるべきではなく、じぶんから求めるべきものです。かつてのぼくの職場は、OKがでるまで仕事は終わらないし説教も徹夜も続くし、多少ブラックの匂いが漂う職場でしたが、でもあの日々がいまのぼくに基礎をくれたのは間違いのないところ。あの苦しい時間、つらい日々があったから、いまがある。ふたたびライターとなったことは「予想外」でしたが、でも、「どこかでずっとじぶんが望んでいたこと」でもあったとも思います。

仕事というのは、誰かに依頼されるから、仕事になります。その意味では、依頼してくれる人がいること、依頼されるじぶんであること、という関係性がまずは大切なはずです。人と人のあいだに立って、誰かに信頼されたり、期待されたり、面白がってもらえたりすること。そして、その信頼や期待に応えていくこと。働くとは、そういうことなんじゃないか、と思います。ぼくは人におべっかを使うこともできず、愛想笑いするのも苦手な人間ですが、そんなぼくにでも依頼をくれる人たちがちょっとでもいるという事実はいつも新鮮で、ありがたいことです。そのわずかな関係性のなかでぼくは居場所をもらっている。その期待になんとか応えつづけたいです。

text/ Yuzou Kiyama 
photo/ Mikako Ito

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